そうか。

アタシも一応、被爆者三世になるのか。
じーちゃんは当日の広島市にいて、ばーちゃんは数日後にじーちゃん探しに広島市に入って。
二人とも、特に、関する疾病もなく、元気に90近くまで往生したので、何となく認識なかったや。
小学校の授業で、戦争体験の聞き取りを、じーちゃんにした時も(幼心に質問しにくかった)、あんまり話したそうでもなかったんで、その後詳しく聞くこともなく。
当時、すでに生まれてて、ばーちゃんと一緒に家の庭から、広島の方角を見たおばちゃんの話は聞いたことあるけど。(光と音の後、真っ暗になった山の向こう、広島の方角から、煤や焼けた端切れが飛んできた)
一度、広島駅の近くの、当時、じーちゃんが避難してお世話になったお寺には、一緒に行ったことがあったけど。その時も、詳しくは話してくれんかったな。
今になって、聞いておけば良かったと思いもするけど、何となく話したくない感じを無理に聞くのも出来んかったしな、とも思う。
一度、戦禍文集に頼まれて、簡素な文ではあったけど、寄稿してたので探してみよう。